久方ぶりに。

皆々様、ご機嫌は如何であろうか。 小生の方は相変わらずである。 日々の備忘録に類するものとしてしたためてきたこのブログなるものも、気づけば長いこと更新せずにいた。 備忘録の存在を忘れる、とはこれいかに。 本日は長ったらしく、なんらかの考えをブ…

眼光鋭く、耳を澄まし、鼻を効かせ、舌を肥やし、身体を投げ出し、頭を働かせろ。

お久しぶり。 といった感じだろうか。 長らく新たな記事をしたためることができずにいた。 記したいことは山ほどあったのだが、いかんせんまとまらずに下書きばかり増えてしまった。 溜まった下書きも、どこかで日の目を見るようにしてやりたいものだ。 さて…

EXPO : 人類の進歩と調和

おととい、知り合いの役者さん、浅野千鶴さんがご出演なさっているお芝居を観に行った。千鶴さんの作品についてしたためるのは、これが2度目になる。そのお芝居、『エキスポ』というタイトルなのだが、ご想像の通り、1970年大阪万博当時が舞台である。とは言…

サイボーグの"Post-Modern Times"

昨日、友人のライブを観に行ってきた。彼が奏でた音楽はとても味わい深く、小生はひたすらに聴き入っていた。そんな中、彼が歌っていた言葉の中で、聴き入っていた小生を、しばし思索に誘うものがあった。正確には覚えていないのだが、こんな感じだったはず…

現実の外縁と虚構とその狭間で。

おそらく、こうしてしたためているこの記事は、何回かに渡って記していくことになると思う。 というのも、小生自身に少しばかり整理しきれていない部分があるからである。 何について書くのか、それをまず語るも良し。 しかしながら、タイトルがそれを想起さ…

結果論

「結果論」という言葉は諸刃の剣だと思っている。時にそれはプロセスを無に帰し、また逆にプロセスへの注目を促すこともある。言葉の用い方、同じ言葉を使うにしても、それが最終的に何への指向性を持つのかには常に気をつけていたい。自分が用いるときにも…

抱負に代えて

2017年というやつが始まってから、早や十日が経とうとしている。 この時節、巷は”抱負”なる名を冠せられた文言が飛び交う。 新年の、あるいは、新成人ならば”大人”としての、実にヴァラエティに富んだそれは、時として、聴く人の身までも引き締まる思いにさ…

”夢の最中”

最近、「夢」というモチーフによく出会う。 出会う、というか、小生自身が「夢」というものを意識する傾向があるのかもしれない。 12月の半ば、小生は友人の役者さんのお芝居を観劇させていただいた。 『夢見るふたり』 という芝居である。 このお芝居、とて…

"Nuovo Cinema Paradiso"

"Nuovo Cinema Paradiso"という映画をご存知だろうか。 「映画」という芸術の中で星の数ほどの作品が、クリスマスに大切な人々と囲む食卓を彩るご馳走よろしく、丹精込めて創られてきた。 映画館の席に着き、広告が流れる。この時間は上映前の小休止。日常か…

『乖離』とチャップリン

ここのところ、小生は『乖離』というものに頭を悩ませている。 シリア、アレッポでの残虐極まりない殺戮のその同じ日に、この日本では何ら変わることない日々が送られている。 別にそれが悪いとかいいとか、そんなことを問いたいわけではない。 もしそれをす…

空を見上げて想ふこと

このところ、ブログを更新できずにいた。 と言っても、書いていないわけではないのだ。 毎日、毎日、下書きを書いては、こんなまとまってないもの、皆様の眼前には出せない、と思ってしまう。 流麗で、かつ、鋭い言葉が綴れなければ、シェアしようという気に…

『保育園受かった日本生きろ』に向かうしか…

(これねぇ、書くかどうか迷ったんだよ。 ブログ始めて早々、政治的な話題を持ち込むってことにも気の迷いがあったし、他にも書きたいことあったから。 でも、なんかこれ書いとかないと、心の突っ張り棒が無駄に自己主張を始めそうなのでね、ごめんなさい。…

「ぶろぐ」ってものをやってみようと

なんとなく、ブログってものをやってみようかと思い立った。 そもそも、何事も飽きると続かないタチであるところの福井周。 気が向いたときに、日記代わりにでも認めてみようかと思う。 もののついでに、一つだけ。 一週間ほど前に原田マハさんの『リーチ先…