「ぶろぐ」ってものをやってみようと
なんとなく、ブログってものをやってみようかと思い立った。
そもそも、何事も飽きると続かないタチであるところの福井周。
気が向いたときに、日記代わりにでも認めてみようかと思う。
もののついでに、一つだけ。
一週間ほど前に原田マハさんの『リーチ先生』を読んだ。
彼女の文章は本当に綺麗で、活き活きしてる。
彼女の小説の題材は、芸術であることが多い。
『リーチ先生』では、イギリス人の陶芸家、バーナード=リーチについての物語になっていた。
元々、彼女の『楽園のカンヴァス』を読んだことで、絵画についての興味をかき立てられた小生である。
例に漏れず、また新しい芸術への扉を開いてもらうことになった。
特に小生が惹かれたものは、実在する人物であり、登場人物の中でも重要な役割を担っていた柳宗悦の「用の美」という考え方。
作品が単に飾られるに留まらず、使われていく中での美しさがある。実用性の伴った芸術、というあり方を語っている。
このような捉え方をするのは、ともすれば無粋かもしれないが、単に飾られている作品としての芸術作品にも、この一面を見出すことは、十分に可能なのではないだろうか。
その絵画か、はたまた彫刻かは分からないが、その作品を見た、という経験によって、その人のその後の生き方に変化が起こる。それが意識的なものか、無意識的なものか、そこは大きな問題ではない。ある種、その作品をその人の生き方の中で”実用的”に使うことのできる可能性が、そこに示されている。と思うのだ。
このブログ、ShuMochyoshi`s blog という名前にしているのだけれど、その「もちよし」は「用美」、つまり、とここまで口にしまっては無粋が過ぎるように思われるので、このあたりで締めさせていただこう。
また気が向いたら、新たに認めよう。